ニンゲンメモ

タメになりそうでタメにならない日記

【ジャネの法則】哲学・心理学に学ぶ,人生を"ゆっくり"生きるには

毎日同じ時刻に家とカイシャを往復し,日々同じような仕事を繰り返し,代わり映えのしない世界が過ぎていく

「こんなはずじゃなかった」,「学生の頃の自分はこんな未来を描いていなかった」というやりきれない想いをココロのどこか奥底にしまいこみながら,現代を生きるシャカイ人たちはふとこうつぶやいてしまうのです

《今年もあっという間に終わったなァ》

 

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「コドモの頃の時間の流れよりも,オトナになってからの時間の流れのほうが速く感じてしまう」現象には実は名前が付いていて,19世紀フランスの哲学者Paul Janetの名前をとって,ジャネの法則(Janet's law)といいます

今回はジャネの法則に抗い,人生を「ゆっくりしていってね!」するにはどうすればよいか考えてみることにしましょう

 

19世紀後半から20世紀初頭のフランス

第三共和制の成立,ナチスドイツ侵攻,共和制崩壊

そんな激動の時代では無意識・内的葛藤を主題とするような心理学・精神医学の諸分野が発展したらしいです

 

心理学者のPierre Janet (Paulの甥)の著書 "L'évolution de la mémoire et de la notion du temps"(「記憶の進化と時間観念」, 1928)の中で時間に関する学説の一つとしてジャネの法則について触れられています

 

On a essayé bien des systèmes polir expliquer la mesure du temps.

Il y a déjà bien dès années (1876 ou 1878) a paru un article du philosophe Paul Janet, qui a eu sa petite heure de célébrité.

Son explication était très ingénieuse et amusante.

Il prétend que le présent, le temps que nous vivons, est toujours apprécié par rapport au reste de notre vie.

Quand nous sommes un enfant de dix ans, une année de notre vie est le
dixième de la vie.

Le dixième, c'est une partie importante de la vie ; par conséquent, pour l'enfant de dix ans, une année, c'est très long.

Quand nous avons vécu soixante ans et plus, une année n'est plus que la soixantième partie de notre vie ; c'est tout petit, beaucoup plus petit que le dixième.

C'est pour cela que les gens qui vieillissent trouvent que l'année est courte.

Cette explication ne tient pas devant les faits pathologiques où les choses varient indéfiniment.

簡単に訳してみるとこう

時間の測定というものを体系立てて説明しようとする試みは多く為された.

1876年だったか1878年だったかに哲学者Paul Janetのジャーナル論文がpublishされて以来,すでに結構な年月が経っている.彼は一時期 時の人 となった人物である.

彼はなかなかに上手くそして面白く説明した.

彼の主張はこうだ.現在,すなわち我々が生きている時間というものは,自分の人生の残りの時間*1と比べて評価されるのである.

10歳のコドモであれば1年間というのは人生の1/10である.1/10といったら,人生の重要な一部分を成しているといっていいだろう;したがって,10歳のコドモにとって,1年とはとても長いものなのである.

一方,60年以上生きた場合,1年というのは人生のたった1/60である;これは本当に短い,1/10に比べたらほんの僅かなものにすぎない.そういうわけで,老いたニンゲンは1年を短く感じてしまうのである.

こうした説は,際限なく物事が変化するような病理学的な事実の前では成立しない.

 

最後の一文*2をみるとどうも叔父(伯父?)の説をそんなに良くは思っているわけではないごようす.

後続する文章を読んでみると人生ゆっくりするためにはどうすればよいか,について彼なりの考えが書いてあり

D'après l'ouvrage de Guyau et le livre de James (p. 625, tome 1), l'appréciation de la longueur du temps dépend uniquement du nombre d'actions que nous faisons.

Si nous faisons beaucoup d'actions, le temps paraît long ; si nous en faisons peu, le temps paraît court.

 

Les faits sont en contradiction complète.

La longueur du temps dépend, non pas du nombre des actions, mais du nombre des sentiments que nous avons : sentiments d'effort, de fatigue, de terminaison, de joie, de tristesse.

C'est le nombre des sentiments qui fait varier le temps.

  

訳してみるとこう

Guyauの研究とJamesの著書によると,時間の長さがどう評価されるかというのは,起こした行動の数によって一意に定まるというのだ.

多くの行動を為したなら,時間は長く感じるし; ほとんど行動していないのなら時間は短く感じる,というのである.

 

これは完全に事実と矛盾している.*3

時間の長さというのは,起こした行動の数ではなく,感じた感情の数に依存するのである:すなわち,努力した,疲れた,事を成し遂げたと感じる気持ち,喜びや悲しみといった感情の数なのである.

時間を変えさせるのはこうした感情の数に他ならない.

 

要するにサムシングで感動し,ココロを動かすことこそ,人生をゆっくり感じるために重要であるということっぽい 

 

この調子で「人生,あっという間だったなァ」となるのは哀れなので

ココロを動かすものに出逢う努力をしよう

つまりパリピになろう

クラフトビール飲みながらシャカイ人二人で話しましたとサ

 

 

 

 

 

*1:「これまで生きた時間」を指してreste de notre vieと言っている?

*2: 前の文脈を読んでないので最後の一文がよくわからない(les faits pathologiques = the pathological facts) 

*3:なにゆえLes faits sont en contradiction complèteなのかはちょっとよくわからない