新時代と飛び降り
一つの時代が終わり、新たな時計の歯車が回り出す。
その瞬間、俺たちは何を思い、何を感じたのだろうか?
その日、たまたま遊びに来た友人が、
その瞬間を、ニンゲンがたくさん集まる場所で過ごしたい、と言った。
だって新時代の幕開けなのだから、とのことだった。
以前だったらこんなことは間違いなく言わなかっただろう。
シャカイ人になって数年、どうやら俗世間の価値観にずいぶん影響されているようだ。
我々とは対照的に、俗世のニンゲンとうまくヤっていけるタイプなので
ソレもまた、ある種の必然であることだなぁと我々は思った。
関西で何かあるときにニンゲン達が集まって馬鹿騒ぎする場所なんて、
一意に定まるのではないだろうか?
そう、道頓堀である。
ミナミ*1は治安悪そうだし、雨降ってるし、24時まで居たら終電間に合わない。
やだなぁと思いつつも、実はまんざらでもなかった。
その背景には、不良・ヤンキーといった存在に憧れる我々のココロがあった。
男性が不良に憧れる理由の一つに、不良漫画におけるヤンキー像の描写が在るという。
漢としての生き様、仲間を大切に想うキモチ、自らの流儀を貫く孤高の存在。
なりたくてもなれない、近づきたくても近づけない。
少年漫画から得たそんな像(我々はコレをプラトン先生に倣ってイデアと呼んでいる)を追うココロが
オトナになっても宿りつづけるそうじゃ。
なんとまぁ、素晴らしい話じゃあないか。
しかしわたし、不良漫画なんて読んでたっけな? 幽遊白書?GTO?フゥム性があるな...🤔。
話を戻す。
そういうわけで、行ったのだ。あの日、あの時、あの場所に。
ところが、近づけば近づくほど、我々は自らの選択を深く悔いた。
ニンゲンだらけだというのに、
右をみても左をみても明らかに居ないのだ。
仲間を大切に想う漢も、自らの流儀を貫く孤高の存在も。
ばんなそかな〜〜
交番の前には、20人くらいの警官が既に待機していた。
レイワ騒ぎするだけのニンゲンの安全のため、彼らは休日・深夜出勤しているのだ。
こんな仕事、ワイだったら間違いなく耐えられない・・・。
この日ばかりは警察という存在に同情した。
と同時に、雨の中彼らに労働させる一因に成り下がった、
群衆の中の自分という存在を、申し訳なく想うキモチでいっぱいになった。
本当は「道頓堀ナウ〜〜🤪」とかつぶやく予定だったが、
我々がそうしなかったのは、この申し訳なさのせいである。
そうこうしているうちにその瞬間が来た。
3、2、1、REIWA〜〜〜
とのことだった。
友人は
『ニンゲンが飛び降りるさまをもっと近くで観たい』
と言って、どこかに行ってしまった。
我々はお高くとまってるキャラ🤴なので、
もうそういうのいいです、みたいな顔をして
ひとまず安全地帯に避難した。
その瞬間、溢れんばかりの羞恥心が我々を襲った。
(お高くとまっているキャラ🤴なのに
こんなとこ居るの恥ずかしい!
恥ずかし乙女!!穴があったら入りたい!!!😫)
思わず物陰に隠れてしまった我々の前に現れたのは、
海パン1枚で仁王立ちする二十代の青年だった。
ずぶ濡れだった。
突如現れた彼を、すぐさまニンゲンたちが囲んだ。
👵「あらまァ〜〜〜、飛び込んだんーー???」
👴「おう、ようヤッたな、コレやる🍶」
🧑「エッ、お兄さんコレすごい、「令和」って書いてある🤣(→ 爺さんと肩を組んでワイワイする)」
🙂🙂🙂(🤳🤳🤳📸📸📸)
ウッ、なんだ、コレは。
勇気ある勇者を讃える村人達が観える。
ココはどこだ、俺はどこに居る?
代官山ではない、ココはいったい・・・。
一つ気づいたことがある。
報道やSNSでは冷ややかに捉えられがちだが、
現場は違う。
あの場には、衆人が誰かの飛び降りを期待する空気がひしひしと感じられる。
そしてその期待に応える勇者が現れる。
渋谷のハロウィーン🎃とは一味違うみたい。
でもアレはヤンキー(イデア)でゎなぃょ………
そんなこんなです。
それではみなさん、
HAPPY REIWA.....