コンビニで買ったガルボというチョコレートが美味しかった話
大航海時代・ヨーロッパ,コロンブスが伝えたカカオで作ったチョコレートは,
当初は飲めば長寿になる薬として重宝され,富裕層の間で持て囃されたという.
砂糖で苦味を消し,固形化した現代のチョコレートへと姿を変えるのは,そのおよそ400年後のことである.
コンビニやスーパーマーケットをテクテク歩くとき,このうえない心理的葛藤が生じるのがお菓子売り場である.
昔は「バナナはおやつに入りますか!?」というなんとも可愛げでありきたりな問いを繰り出し,買い物かごにジャンジャンお菓子を入れて購入をせびっていた気がするのだが,いつの頃からだろうか,お菓子売り場に足を踏み入れると,心の中にニギハヤミ・コハクヌシが現れ,「ここへ来てはいけない!」と叫ぶようになった.甘美なる誘惑と,その先に見え隠れする脂肪の恐ろしさを前に,我々はただただ逃げ出すほかなくなったのである.
糖質は美味しい.
しかし我々の脳内では,糖質は邪悪なものとして刷り込まれている.健康診断のたびに書かされる問診票では「お前は菓子や清涼飲料水を摂取したか?」という質問がなされる.誘惑に負け,罪深い生活を送った者に対する踏み絵というわけである.
1枚を50gとしてその半分以上を占める,実に25.9gが糖質で構成されている*1令和時代のチョコレートは,かの邪智暴虐の脂肪をもたらすことだろう.その時こそ,暗々たる気分に包まれ,屈辱の炎に身を焦がし,幾度にもリバウンドするケトジェニックダイエット地獄を味わうことになるのだ.
このようなチョコレート菓子に対するネガティヴなイメージを払拭するべく,近年のチョコレート業界はありとあらゆる策を講じている.
「砂糖不使用」,「ハイカカオ」,「糖として吸収されないオリゴ糖」,「脂肪や糖の吸収を抑える」などの無害アピール謳い文句を目にするだけで「このチョコレートなら太らないのではなイカ!?」と盲目的に信じ込んでしまうチョロい我々であるが,近年のヤツらの戦略はこれだけに留まらない.「実はチョコレートって,健康に良いんですよ.ほぉら、毎日少しずつ食べたら,血圧が下がって血液サラサラになったよ!」などという,賢しげなエビデンスを語るようになった.だいたいチョコレートなんていうものは食べ出したらキリンがない*2ワケなので,「毎日少しずつ食べる」なんていうのは,心の中のニギハヤミ・コハクヌシたちが相当頑張らないとむりむりカタツムリなワケであるが,こうした広告戦略により,脂肪の代名詞であったチョコレートの負のイメージは見事払拭され,かつての近代ヨーロッパにおけるチョコレート像と同じ,長寿になる薬としてのイメージを確立させることに成功した.
ところで,チョコレート市場を支配するものは,このような健康 vs. 不健康の二項対立的な言説だけではない.
1996年,男はチョコレートなんて甘ったるいものは食べないとされていた平成の世,男性をターゲットにしたビターチョコレート菓子「メンズポッキー」がグリコから発売されたが,その販売は2010年に終了している.我々が生きている令和という時代は「女は話が長い」と言った84歳のおじいちゃんが炎上する時代である.ジェンダー平等・フェヤネスの理念に即していなければ,チョコレート市場からは排除されてしまうのかもしれない.
あれよあれよという間に小さくなってしまった不二家のカントリーマアムからは,世界的なカカオの原料高と円安を推し量ることができるだろう.「田舎のママ」を冠するこのチョコレート菓子は,1992年の発売当初は1枚あたり11gであったそうだが,2014年には1枚あたり10gにまで減少している.日本経済の深刻な衰退に田舎のママたちももはやお手上げ状態である.
チョコレートのマーケティング戦略で一番成功している(と勝手に考えている)のが,「事務的作業による一時的・心理的なストレスを低減する メンタルバランスチョコレートGABA」である.
事務的なストレスを低減する効果が本当にあるのか否かはよくわからないが,こういうふうに書いてあると,心の中のニギハヤミ・コハクヌシが何を言おうと,もはや躊躇することなくバクバクと食べてしまうのである.邪悪な社内システムとGOSETSUMEIで疲れ切った現代人の心に,これほど響く宣伝文句があっただろうか(いや無い).
邪悪な社内システムを導入したい会社側と,邪悪な社内システムによって心を乱される従業員側のニーズを,グリコはうまく掴み取っており,それはまるで神の見えざる手*3によって突き動かされるがごとく,我々はメンタルバランスチョコレートに救いを求めるのであった...