どう書くか 理科系のための論文作法
職場で論文の書き方本をオススメいただいたので、その感想。
一貫して、
- 論文の最初でreviewerの心をつかむこと
- 一気に最後まで読ませること
の重要性を説いていて、このテの本にありがちな抽象論に終始するのではなく、具体的に悪い例を挙げて何が悪いのかを導いていて良さ。
特に後者に関する記述がなかなか秀逸だったのでそこだけメモ。
文章を読むという行為は、著者が用意した思考の道を読者がたどる作業である。文章が分かりやすく読みやすいとは、この思考の道がなめらかで歩きやすいことにほかならない。
なめらかで歩きやすくするための技術として、
- 意味と型の不一致 (5.2.4)
- 仮定・約束の及ぶ範囲 (5.2.3)
- 古い情報の引き継ぎ (5.3)
が紹介されている。
以下、読みにくい文の例と、その改善案。
1 意味と型の不一致
(a)* 点は互いに一般の位置にあり、3点が同一直線上に並ぶことはないと仮定しよう
[よくない点]
- 点は互いに一般の位置にある (a-1)
- 3点が同一直線上に並ぶことはない (a-2)
の関係が読めない。考えられるのは、
- (a-2)が仮定(a-1)の帰結
- (a-2)が(a-1)における表現「一般の位置」の説明
の2通り。そのいずれなのかが、(a)*からは読み取れない。
[改善]
1.の場合、
(a) 点は互いに一般の位置にあり、したがって3点が同一直線上に並ぶことはないと仮定しよう
2.の場合、
(a) 点は互いに一般の位置にある ー すなわち3点が同一直線上に並ぶことはない ー と仮定しよう
2 仮定・約束の及ぶ範囲
(b)* この2次方程式の解をとおくと、解と係数の関係からである。またでもある。
[よくない点1]
- [A]と仮定しよう。[B]。[C]。[D]。...
という文型ならば、仮定[A]は、後続する[B], [C], [D]の全てに及ぶ。しかし、
- [A]とおくと[B]。[C]。[D]。
という表現なら、仮定(or 約束)[A]が及ぶ範囲は[B]に限られる。[C]にまで[A]が及ぶかのように記述すると、型の構造と、意味の構造が一致しておらず、意味と型の不一致が生じる。
[よくない点2]
「解と係数の関係」が、だけを指すように読み取れる。
[改善]
記号を後続する文で使う場合は(b-2)、そうでなければ(b-1)。
(b-1) この2次方程式の解をとおくと、解と係数の関係から, である。
(b-2) この2次方程式の解をとおく。すると、解と係数の関係から, である。(したがって、は...)
3 古い文章の引き継ぎ
(c)* 三つの計算実験を、前節で提案した手法の有効性を確かめるために行った。産業の現場で実際に生じる問題と同程度に、それらはいずれも、大規模なものである。2次元凸包の構成実験がその第一である。乱数を用いて単位正方形内に発生させた百万個の点を、入力データとしてこの実験では与えた。ただしを原始多項式とする線形最大周期列から乱数は生成した。
[よくない点]
何がどう引き継がれているかわかるにはわかるが読みやすくはない(e.g, 「その第一」とはどの第一なのか?)。引き継ぎ部分(傍線部)が後ろのほうにあると、そこへたどり着くまで古い情報との関係が不明のまま新しい文を読まされることになるから、不安な時間の多い読書になってしまう。それでは読みにくい。
[改善]
古い情報を引き継ぐ部分と新しい情報を付与する部分から各文を構成する。
- 古い情報を引き継ぐ部分は省略しない(文章が少しくどくなるかもしれないが、きどった文章を書こうとして読者を道に迷わせてしまうことと比べたら、くどいことなどささいな欠点である)
- 古い情報を引き継ぐ部分は文のはじめのほうに持ってきたほうがわかりやすい
(c) 前節で提案した手法の有効性を確かめるために、三つの計算実験を行った。それらはいずれも、産業の現場で実際に生じる問題と同程度に大規模なものである。
その第一は、2次元凸包の構成実験である。この実験では、乱数を用いて単位正方形内に発生させた百万個の点を入力データとして与えた。ただし乱数は、を原始多項式とする線形最大周期列から生成した。
<感想>
4.1 重症患者の諸症状の冒頭に、
文章がうまく書けないとき、その原因を突き詰めていくと、実は何を書くべきかが十分に整理されていなかった ー もう少しはっきり言うと、何を書くべきかが分かっていなかった ー ということが多い。
とある。確かに、最後の古い文章の引き継ぎの話は、行き当たりばったりで文章書いていると、前の章の話と結びついていないように見えてよくわからないことになってるというのはありがち。でもこういうのはパターンさえ掴んで意識して書けば大丈夫のような気がする。
一方、最初の意味と型の不一致の話は経験がモノを言う印象。ただ最初に(a)*みたいな文を書いてしまうことは別にそれほど罪深いことではなくて(慣れの問題?)、むしろ自分で(a)*が不適切な文だと気づける力のほうが大事なのだと思う。
結局、4.2 楽しい二重人格をめざそうにあるように、
著者としての自分が知っていたことをすべて忘れて、書いたものだけから何が読み取れるかを無心に ー というよりむしろ冷酷に ー 見なおしてみる
のプロセスを徹底的にできるようになることが重要なんだろうなァという。